2010年11月17日水曜日

『タクシー・ドライバー』

いわずと知れたマーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の名作。もう100回以上繰り返し見ているので台詞も半分以上は暗記してしまった。そもそもなぜこのとんでもなく偏屈な主人公とありえないストーリー展開が、ここまで孤独という普遍的なテーマを掘り下げて人々の共感を呼んだのかというのは非常に逆説的である。主人公トラヴィスは孤独から抜け出しまっとうな生活をしたいはずなのに、ポルノ映画館に入り浸り、なにやらしょっちゅう得体の知れない薬ばっかり飲んでおりそもそもの目的に反したような生活をしている点も逆説的で、まさしくヒロインが評したように「Walking contradiction」という表現がぴったり合う。この映画を見ていつも思うのは、自分の人となりと目標が分かっていると豪語できるような人間でも以外に自分のことが、あるいは望みや欲望について全くわかっていないということだ。空想や望みが実現したとしても、考えたものと全く違っていておもっていたような充足があるわけでもない。ハッピーエンドが美しいのはあくまでもそこで話が終わるからだが、トラビスは望みを満たした後も多少の充足感はあっても孤独なタクシードライバーであることに変わりない。
 またトラビスの独白は時々なかなか含蓄があって素晴らしい。「やつら(女達)はまるでUNION(組合)みたいだ」とか「人が仕事を選ぶと人はその仕事そのものになる」とかなかなか考えさせられる台詞だ。製作側の観点から見てもカメラワークなど当時の常識からかなり外れていたそうで、歩く人物を追うシーンで周りの情景を写した後また人物に戻るといった凝った撮り方は今見ても斬新である。